あなたに見えてる沖縄は、見たままのものとは限らない
2015年11月、ここ「沖縄発・何でもあり」は開設10周年。
10年ひと昔企画、今回は沖縄のスポーツ編。

まずは何といっても、開設時から追っている、FC琉球。
ここができた頃は、ちょうど九州リーグから全国舞台のJFLへ、というところでした。
ところが、JFLに行ってからは苦難の連続。成績不振、経営不振、さらに経営をめぐるトラブル。
成績が振るわない間に“新興勢力”に観客を奪われ、さらに悪循環。
それでもしぶとく乗り越え、3部リーグ新設という流れに乗って、ついに「Jリーグ」の一員となりました。
じょーとースタジアムも、泡瀬の県総改修という形で実現しました。
しかし成績はなかなかぱっとせず、観客動員もJFL初年度は平均3,000人台だったのが、今ではだいたい3桁。
まだ困難は多い。でも、好機で得たものを活かさなければ。

それと、元FC琉球の選手で大きな飛躍をした人を忘れてはいけません。
榊原・トルシエ体制最初の年に来た、GKのライス・エンボリ。
あれから時を経て、アルジェリア代表としてワールドカップの舞台に立ちました。

一方、バスケで全国に挑む動きが出ました。琉球ゴールデンキングス。
最初のシーズンは西地区最下位でしたが、翌シーズンはなんと優勝。いっときのサクセスストーリーではなく、以後も優勝争いの常連で、リーグ制覇3回。観客動員も文句なし。
男子トップリーグ統合で、bjリーグとしては最後のシーズン。未来につなげる結果を残せるか。

最初は「FC琉球のハンドボール部門」として登場、ほどなく分離した琉球コラソン。
実業団多数の日本リーグで、クラブとして挑み、ついにプレーオフに進出するまでになりました。
もともとハンドどころで、小学校から高校までで全国制覇の実績もある沖縄ですが、「高校から先」の受け皿に乏しいのと、ハンドどころといっても浦添市中心のピンポイント状態が課題でした。しかし受け皿ができ、浦添以外の学校も健闘するようになってます。国内では地味なハンドボールの裾野を広げる、モデルケースになろうというのは、大げさでしょうか。



ボクシングの世界王者を度々生んでいる沖縄ですが、平中信明以降はしばらく遠ざかってました。
そこに出たのは、江藤光喜。WBA“暫定”フライ級世界王者。暫定ということでJBCの認定はありませんが、外国開催のタイトルマッチでの日本人男子初勝利という快挙も達成です。
暫定王座からの陥落後は東洋太平洋王座を奪取、11月28日には世界タイトルマッチ。期待が高まります。
そうそう、江藤の所属するジムの会長は、あの具志堅用高。
伝説は、継がれる。

宮里藍や宮里美香が世界に挑む一方、沖縄から次の有力女子ゴルファーは出るのか。
…出ました。比嘉真美子。

1990年代後半に好機を逃し開催できなかった、全国高校総体(インターハイ)。2010年にようやく開催されました。

サッカー日本代表で、ついに沖縄出身A代表の選手が出ました。我那覇和樹が2006年に代表入り。
今後の飛躍も期待されましたが、ドーピング冤罪事件に巻き込まれてその後の機を奪われました。しかしその後も情熱は冷めず、FC琉球でも貢献しました。
それから8年、沖縄から2人目のA代表に呼ばれたのは田口泰士。

格闘技の分野でも、沖縄から王者が出ました。パンクラスの砂辺光久。今でもパンクラスのリング(というかケージだね)を盛り上げてます。

プロ野球では大嶺兄弟や伊志嶺翔大、宮國椋丞、比屋根渉など活躍する選手を輩出。

そして、野球といえば忘れてはいけないのが、2008年と2010年の高校野球。
2008年、選抜高校野球で沖尚が優勝。
1999年の優勝から9年、あの時のエースが監督。決勝の日は、あの時と同じ4月4日。出来過ぎたストーリー。
2010年、夏の選手権沖縄勢初優勝が「春夏連覇」。
その興南を率いたのは、沖縄勢初4強入りの「興南旋風」メンバーのひとり。
準決勝での苦境を脱する時、甲子園に響いたのは、ある新聞投稿がきっかけで封印されていた、沖縄代表応援の名物曲。
とにかくあまりにも出来過ぎたストーリー。

5年後には東京オリンピックがあります。沖縄から日本を、世界を沸かすアスリートは出るのでしょうか。
これから先、どんな活躍を見せてくれるのでしょうか。

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