あなたに見えてる沖縄は、見たままのものとは限らない
「もしも○○がカップ焼きそばの作り方を書いたら」のネタが盛り上がってますね。

そこで、考えてみました。
「沖縄の2大新聞がカップ焼きそばの作り方を書いたら」
1面下のコラム(沖縄タイムスは「大弦小弦」、琉球新報は「金口木舌」)に近いフォーマットで、社説やほかの記事のテイストも込めてみました。文字数など大味なとこもあるかもしれないが、そこはご勘弁を。

まずは

「もしもカップ焼きそばの作り方を沖縄タイムスが書いたら」

 この稿で何を取り扱うか迷ってた時に、ふと食べたカップ焼きそば。「これだ」と思った。
▼開封する。かやくなどを取り出す。お湯も沸かす。沸騰するまでの考え事の時間も楽しみだが、ポットの湯ならそれもない。
▼麺とかやくの入った容器に湯を入れて待つ。その間に考え事をめぐらせる。辺野古の新基地、子どもの貧困など。ただし考え過ぎて時間を越えないように。
▼湯切りは緊張する。麺をこぼす最悪の結末になりやしないか、容器を持つ手が震える。しかし最近の蓋はよくできている。
▼ソースや、製品によってはスパイスやマヨネーズなどを加えて混ぜる。実に手軽においしく、胃袋も心も満たしてくれる。
▼もしかすると、これすら食べるのが困難な、貧困世帯もいるのだろうか。貧困を脱する手助けを考えるきっかけを、カップ焼きそばからもらった。



続いて

「もしもカップ焼きそばの作り方を琉球新報が書いたら」

 なんということだ。これまでの積み重ねが一瞬で無に帰した。目の前のシンクに、カップ焼きそばの麺がこぼれた。
▼カップ焼きそばを食べる。種類は豊富にある。何を食べるか自らが決める、立派な自己決定権の行使である。
▼蓋を開け、かやくを入れる。「火薬」ではないとわかっていても、言葉の響きには敏感になる。米軍絡みの事件・事故と隣り合わせだからか。
▼お湯を入れて待つ。これまでの積み重ねから、期待は高まる。しかし悲劇は起きた。蓋がはずれ、麺がこぼれた。
▼呆然とする中、聞こえてきたのはオスプレイの爆音。オスプレイも、カップ焼きそばも、危険と隣り合わせという共通項がある。
▼カップ焼きそばがなければ、このような悲劇は起きなかった。選択肢はひとつしかない。お湯を捨てる作業のないカップ焼きそばの登場だ。

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